Yさんご夫婦から得た大切な学び

人生も折り返し地点を過ぎ、これからの仕事人生をいつどこでどのように締めくくるか、考えることが多くなりました。したいことはたくさんあるけれど、そこまでできるか?時間は足りるか?といった感じです。
先日、在宅で療養生活を送られている50歳代のYさんに、講義に来ていただきました。Yさんは、10年前に病気によって四肢麻痺となり、飲食や排泄、寝返りをうつなどの動作に介助が必要です。意思疎通は目の動きによって図っておられ、わずかに動く左手の親指を使ってブログを書くことが日課だそうです。初めてYさんにお会いしたのは、Yさんのお宅でした。私は、“自分が突然その状況になったらどうだろう”とか、“いつも介護されている奥さんの気持ちはどうだろう”とか、マイナスなことばかりを考えていました。しかしそれも束の間、Yさんと奥様の笑顔とジョークの温かい輪のなかに包まれました。そこで私は、お二人から私が看護を受けたような不思議な力をいただくことになりました。
この感覚は何だろう。不思議のなか、ずっとずっと考えていました。

講義は、Yさんが傍らに、奥さんがマイクを持ってお話しいただくというスタイルではじまりました。お話を進めながら、Yさんと奥さんは、時折顔を見合わせながらコミュニケーションを取られ、外出ができるようになるまでの経過やその時々の思いについて話を進めていかれました。学生たちも、奥さんのお話を心の耳を澄ませ聴いておりました。
「体が不自由になったとき、楽しみにしていた息子の結婚式に出席するのは無理だとあきらめた。でも、それが叶った。そこから自分はなんでもできると思った。」
「明日は今日の続きではない。今日と同じ明日は来ないかもしれない。私たちはそれを知っているのです。」

ご夫婦の強さを知り、ホロホロと涙が出ました。

ひとをケアするということ

あぁ、だからあの日、私は不思議な力をいただいたのだ。誰かに何かケアする・・なんて私にはまだまだです。

メイヤロフは「ケアの本質-生きることの意味」という著書のなかで、ケアをこう述べています。「他者をケアすることにより、ケアするひともまた自分に欠けている点に気づく。そのことからケアするひともまた自己実現できるのである。」

ケアとは他者志向的な行動であると同時に、自己志向的行動でもあるのだと思います。
これからも、小さな目標をたくさん持ち、私は私らしい人生を謳歌したい。与えられた今日を、精一杯過ごそう。あらためて、考え感じさせられた貴重な日となりました。

佐藤郁代